次世代タンパク質繊維とセルロース繊維の未来

スパイダーシルク開発から始まったプロテイン繊維の今

オニグモ &CROP 編集部の瀧澤です。

クモの糸の繊維という言葉は耳にしたことがあると思います。

2015年にSpiber株式会社がゴールドウィンと提携して人工クモ糸繊維QUMONOSⓇを使ったムーンパーカーのプロトタイプを発表して話題となり。2019年にはTNF×Spiberのブリュード・プロテインを使用した第2弾のムーンパーカーとTシャツが限定発売されて再び話題になりました。

この人工クモ糸繊維やブリュード・プロテイン繊維のように新しい技術がメーカーから発表されるたびに呼び方にも技術的にも変化が起きていてとてもわかり難いと感じたので整理してまとめました。

この記事を読んでいただければクモ糸の繊維やブリュード・プロテイン繊維がどんなものなのか?世界から注目を浴びているSpiber株式会社とはどんな会社で何故注目されているのか?等々の基本的な疑問がスッキリ理解できると思いますので是非最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。

タンパク質の立体構造
タンパク質の立体構造 アザ・トット, パブリック ドメイン, via Wikimedia Commons(画像はイメージです)

新しいタンパク質繊維の可能性

子供の頃、捕まえたオニグモから糸を引き出して遊んだ記憶があります。あの小さな腹部にどれくらいの糸があるのだろうか?このクモの糸を何かに使えないのだろうか?そんな体験や疑問が遠い記憶の奥にあったせいかクモの糸の繊維の存在を初めて知ったときには何かしら気持ちを揺さぶられる感じがしました。

人類が古くから利用してきた動物性の繊維には昆虫(カイコガ)から採れるシルク(絹)とウール(羊毛・獣毛)があって、植物から得られるセルロース繊維と並んで私たちの衣と住を支えて来ました。

19世紀後半に最初の化学繊維が作られて以降、1990年代になると安価で大量に生産することが出来るポリエステルを始めとする化学繊維が私たちの生活を大きく変えました。一方で化石資源の枯渇や環境破壊等の多くの課題を抱える中で、はじめはその強度や特性から軍事利用目的で研究が進められていたクモの糸と言う新しいタンパク質繊維の可能性が注目されて米軍を筆頭にドイツ、イスラエル、スウェーデン、ロシア、中国、韓国などが競って研究開発を進めて来ました。

人工クモ糸開発の課題

世界各国で研究が進められて来た人工クモ糸の開発には蜘蛛を大量に飼育してクモ糸を生産する際に必要となる生き餌の確保や蜘蛛同士の共食い、また一匹の蜘蛛が性質の異なる数種類の糸を出すのを人為的にコントロール出来ないなど、複数の問題がありました。

そこで遺伝子工学技術を用いて様々な動植物や微生物にクモ糸の遺伝子を組み込んで生産する試みが行われて来ましたが、生産コストかかりすぎる上に生産効率が悪く実用化が困難でした。

さらに合成されたタンパク質を溶解して紡糸する工程においてもコスト面・安全面に多くの課題があってなかなか実用化にまでは至りませんでした。

なぜ蜘蛛の糸が注目されたのか?

クモ糸は絹と同じタンパク質繊維

カイコガの画像
カイコガ Wikimedia Commons

天然クモ糸の主成分は絹糸(シルク)と同じフィブロインと言うタンパク質です。タンパク質は20種類のアミノ酸が数十~数千個、直鎖状に配列した分子構想をしています。タンパク質の組み合わせのパターンには20n乗(ほぼ無限)のバリエーションがあって筋肉や毛髪・酵素・ホルモン等々がタンパク質によって作られています。

地球上にはおよそ4万種類(未発見の種も合わせると20万種とも言われる)のクモが生息しています。そしてそれぞれの蜘蛛が出す糸は異なるアミノ酸配列を持っています。また同じクモでも用途によって数種類の性質の違う糸を使い分けていることが知られています。

クモの糸の性能

人類は有史以前からカイコが作る繭の糸であるシルク(絹)を広く利用して来ました。クモの糸は近年になって強度や軽さ(同じ太さの鋼鉄の45倍・炭素繊維よりも軽く15倍の強度)、伸縮率(ナイロンのおよそ2倍)、耐熱性(約300℃)等で絹糸を上回る繊維としての性能が注目されて米軍を筆頭に各国の研究機関で研究開発が進められてきました。

蜘蛛の巣の画像

天然クモ糸の構造

タンパク質には機能タンパク質と構造タンパク質があります。機能タンパク質は酵素やホルモン等の代謝や化学反応に関わるタンパク質。構造タンパク質は筋肉や髪の毛など体を構成しているタンパク質です。

クモの糸は構造タンパク質で作られていますが天然のクモの糸はアミノ酸が不規則に並んだ柔らかい部位(非結晶領域)とアミノ酸が規則的に並んだ硬い部位(結晶領域)が交互に並んだ構造をしていて、非結晶領域が伸縮性を結晶領域が強度を担っています。

非結晶領域が限界を越えるまで引き伸ばされると結晶領域が破断して、破断した結晶領域は近くの結晶領域と瞬時に結合して再結晶化することで強い伸縮性を発揮します。

さらにクモの腹部にある多数の吐糸管(としかん)へは7つの絹糸腺から異なるアミノ酸組成を持つ物質が分泌され目的に応じて数種類の糸を吐出します。(※参照SEN’I GAKKAISHI vol62,no2クモの糸の秘密 大崎茂芳)

代表的なクモ糸繊維の研究開発の例

スパイダーシルク(SpiderSilk)産業は自動車・防衛・ヘルスケアおよび繊維製品などの業界で需要が高まり、2021年には12.6億米ドルの市場規模に達し、2030年には605000万米ドルに達すると予測されていて、各国の企業や研究機関が開発競争を繰り広げています。ここでは米国と日本の代表的な開発事例について簡単にまとめました。

ドラゴンシルク(KBL社)

クモの糸の繊維開発の先駆けでもある米国のクレイグ・バイオクラフト・ラボラトリーズ社(KBL社)は米陸軍から90万ドルを越える契約を受けて製品開発を行いました。KBL社では10年以上に渡って遺伝子操作によってカイコにクモのDNAを組み込む方法を試みて来た結果、生産効率が高く強靭なクモ糸シルク「ドラゴンシルク」の開発に成功。米軍のボディアーマーに採用され、外科手術等の分野にも利用されています。KBL社では20226月にベトナム ホーチミン市に生産拠点を設けて更なる生産体制の確立を目指しています。またキングスグループ(Kings Group)とスパイダシルク・エンタープライズ(Spydasilk Enterprises Pte. Ltd.)を設立。スパイダーシルク技術をベースにした高級ストリートウェアの製造販売を開始しました。KBL社のスパイダーシルクに関するニュースリリースは下記のリンクからご覧いただけます。

https://www.kraiglabs.com/news/

クモ糸シルク

国立研究開発法人農業生物資源研究所はオニグモの縦糸を作る遺伝子の一部をカイコに組み込む研究を行って来ました。2014年にはクモの糸を吐くカイコの実用品種の開発に成功。シルクが持つ美しい光沢や柔らかい肌触りのまま通常のシルクより15倍以上も切れにくいという強さを兼ね備えたクモ糸シルクは実用品種のカイコに生産させることによって糸質が良く、通常のシルクと同様の工程で織物に加工することが出来ます。アパレル製品や医療素材・防災ロープ・防護服・消防士が火災現場で着る防火服のインナーなど、人命に関わるような製品への応用が期待されています。

 

ミノムシシルク

ミノムシ画像
ミノムシ画像 Wikimedia Commons

興和株式会社と文部科学省の研究機関である農業・食品産業技術総合研究所(農研機構)が共同で研究を進めて来たミノムシ(オオミノガ)の糸を商業化する技術の開発に成功したことを2018年に発表しました。ミノムシの糸は自然界で最も強いと言われていたクモの糸を強度・弾性率・タフネス等の全てのデーターで上回る繊維で更にクモでは難しかった人工繁殖や大量飼育の方法も確立されていて今後の実用化が期待されています。詳細は下記のリンクを参照して下さい。

興和先端科学研究所のページ

https://kowarlas.com/theme/

農研機構のページ

https://www.naro.go.jp/project/results/4th_laboratory/nias/2018/18_029.html

人工タンパク質繊維QUMONOS®

2007年に設立創業したバイオベンチャー企業、スパイバー株式会社が水面下で研究開発を進め2013年に初めて発表された人工タンパク質繊維QUMONOS®(クモノス)は、やはり蜘蛛の糸が持つ強度・伸縮性・タフネス性能に注目して開発されたタンパク質繊維です。前述したドラゴンシルクやクモ糸シルクが以前から生産体制が確立しているカイコガの遺伝子を操作して蜘蛛の糸の特性を与えた糸をカイコに生産させたり、ミノムシ(オオミノガの幼虫)が糸を吐き出すときの性質を特殊な装置によってコントロールして糸をとりだす方法であるのに対して、スパイバーの開発したQUMONOS®は微生物を用いた発酵プロセスを利用して微生物がタンパク質を作り出しやすいようにアミノ酸配列と遺伝子配列を最適化して組み込み、微生物を培養装置で増殖させ作り出したタンパク質を分離・精製・溶解・紡糸するプロセスで生産されます。実験とフィードバックを繰り返すことで開発当初の2500倍まで生産性を高めることが出来ました。更に人工合成されたタンパク質の種類はこの時点で300種類を越え、生産性・安全性・紡糸技術の目処が立ったことで発表へと至りました。

Spiber株式会社

ここで、今最も注目されているバイオベンチャー企業であるSpiber株式について簡単にまとめます。

世界で初めて人工合成クモ糸量産化技術の開発に成功した山形県鶴岡市のベンチャー企業スパイバー株式会社は、現取締役兼代表執行役の関山和秀氏が20079月に設立・創業しました。関山氏は慶応大学でバイオインフォマティクスを専攻。先端生命研究所に所属、大学院在学中に仲間とスパイバーを立ち上げました。以下にスパイバー設立からの簡単な開発略歴を記します。

2007年 スパイバー株式会社を設立創業。

2008年 2cm程のクモ糸繊維の人工合成に成功

2009年 髪の毛程の繊維の束を合成することに成功、

2011年 均質な繊維の合成に成功 

2012年 タンパク質に色素を結合してブラックライトで光る蛍光繊維を開発

2013年 六本木アカデミーヒルズで、合成クモ糸繊維で作った青いドレスを発表

2015年 ゴールドウィンと事業提携QUMONOS®を使ったムーンパーカープロトタイプ発表

2016年  QUMONOS®を使ったムーンパーカー発売を見送り

2019年 新タンパク質素材「ブリュード・プロテイン」を使用したムーンパーカーとTシャツ(North face × スパイバー)を限定発売

2021年 人工構造タンパク質繊維「ブリュード・プロテイン(Brewed Protein)」の原料となる「ブリュード・プロテイン」原末を生産する初の自社量産工場をタイのラヨン県イースタンシーボード工業団地に開所

2022年 パンゲアがスパイバーの生産する構造タンパク質素材“ブリュード・プロテイン”繊維12%とオーガニックコットン88%を用いたプルオーバーを発売。

ムーンパーカー発売見送りとブリュード・プロテインの開発

蜘蛛の巣についた水滴の画像

2015年に発表されたQUMONOS®︎によるムーンパーカーには天然クモ糸の特性に由来するスーパーコントラクション(超収縮)という問題がありました。超収縮とは乾燥時には強靭なクモの糸が水に濡れるとゴムのように伸びる性質で、この性質はとくにアウトドアウェアに取っては致命的な問題点であったことから翌年予定されていたムーンパーカーの発売が見送られました。

このことが契機となってスパイバーでの研究は天然繊維であるクモの糸の模倣から使用用途にフィットしたタンパク質素材の開発に方向転換されて行きました。このことがブレイクスルーとなって20種類のアミノ酸の配列から生み出されるほぼ無限ともいえる組み合わせの構造タンパク質を天然のタンパク質と同じ構造を再現すると言う制限にとらわれることなくデザインすると言う発想で研究開発が進められ、2019年に微生物による発酵プロセスを利用して製造された構造タンパク質「ブリュード・プロテイン」を表側素材に100%使用した第2弾のムームーンパーカーが限定発売されました。

ブリュード・プロテインの可能性

酵母菌画像
酵母菌(画像はイメージです) Masur, Public domain, via Wikimedia Commons

ブリュード・プロテインは、主な原料を化石資源に依存しない微生物によるブリューイングプロセス(発酵工程)によって製造されます。この構造タンパク質は分子レベルで改良を繰り返すことで素材の特性をコントロールすることが可能になり。その結果として超収縮を生み出すアミノ酸配列を特定して超収縮という特徴だけを遺伝子配列から取り除くことに成功しました。

この成功によってブリュード・プロテインには無限の可能性が広がったと言えます。世界的な環境配慮意識の高まりの中で脱化石資源や動物の福祉の観点からもブリュード・プロテイン素材の実用化が期待されています。

スパイバーがこれまでに設計したアミノ酸配列の設計図は2000種類を越えていて合成皮革やTシャツ・デニム・フリース等がすでに商品化されています。副資材でも中綿・ボタン・ファスナー等が開発中で、アパレル分野以外でも輸送機器のボディや人工毛髪の開発がアデランスと共同で進められています。

ブリュード・プロテインは天然セルロース繊維のコットンよりも生分解性が高く自然界で微生物によって速やかに分解されてアミノ酸に還ることからポリエステル製のフリース等による海洋のマイクロプラスチック汚染にもひとつの解決策を提示できる素材としても期待されます。

現在はまだ製造コストが高くまだしばらくは普及に時間がかかることが予想されますが、プラスチックが発明されてわずか半世紀ほどでこれほどまでに広まったことを考えると人工タンパク質素材が広く普及するのもそれほど先の事ではないと思われます。

セルロース繊維の未来

セルロースの分子モデル
セルロースの分子モデル Wikimedia Commons

スパイバーでは次のフェーズに向けての研究開発も進められています。

現在は微生物がタンパク質を作るためのエネルギー源として主に植物が生産する糖質が使われています。ブリュード・プロテインを製造する為には生産されるタンパク質のおよそ6倍の植物由来(セルロース)原料が必要です。しかし人口増加が続いている地球上で限られた農地をタンパク質素材原料の生産に充てることでまた別の問題が生じて来ます。

その解決策としてスパイバーでは海洋などの食糧生産に向かない場所でセルロース原料を発酵技術によって生産するための基礎研究を数年前から進めています。セルロース原料生産の実用化には更に長い期間が必要とされることが予想されますが、それでもセルロース原料とタンパク質原料の両方が日本で開発された発酵テクノロジーによって効率良く生産される世界もそう遠い先の事ではないかも知れません。

人工構造タンパク質分野で世界のトップレベルとなった山形県鶴岡市のスパイバー株式会社には世界中の注目と人材が集まっています。

まとめ

天然の蜘蛛の糸が持つ強靭さや性能に着目して軍事目的で研究開発が始められ、その可能性から世界各国の研究機関が競って量産化を目指して来た蜘蛛の糸は遺伝子工学を利用して人類が古くから改良を加え生産技術を洗練させてきた蚕(カイコ)に蜘蛛の糸の遺伝子を組み込んで生産させる方法が技術的にも最も現実的な方法と考えられてきました。

後発のSpiber株式会社が水面下で進めて来た研究開発はこれまでのカイコに蜘蛛の糸を生産させる方法とは全く異なり、古くからある発酵技術を用いて微生物にタンパク質を作らせると言うものでSpiberの設立からおよそ8年でアウトドアウェアのプロトタイプを発表するところまで来ていました。

しかしこの人工合成タンパク質繊維QUMONOS®には繊維として利用するには天然のクモの糸の性質に由来する超収縮と言う解決しなければならない大きな問題点があり、このことが契機となって自然界に存在するタンパク質を再現するだけではなく、必要とする機能を付与したり不必要な性質を取り除いて新しいタンパク質をデザインすると言う発想で開発が進められ、4年の時を経て新製品の発表と発売に至りました。

微生物による発酵技術と最新の遺伝子工学によって生産される「ブリュード・プロテイン」と将来現実化されるであろう「ブリュード・セルロース」がセルロースナノファイバー(CFN)のような新技術と結びついてアパレルや繊維の業界だけでなく環境問題等にも大きく貢献している未来に大いに期待したいと思います。

下記のリンクはWWDマガジン掲載の2023年3月30日公開の「スパイバー&goldwin」に関する記事です。

WWDJAPAN

ゴールドウインとスパイバーは2023-24年秋冬物から、「ザ・ノースフェイス(THE NORTH FACE)」「ゴールド…

参考にさせていただいた記事のURL(順不同)

https://www.kraiglabs.com/news/

https://www.jstage.jst.go.jp/article/biophys/62/3/62_181/_html/-char/ja

https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakutoseibutsu1962/11/7/11_7_451/_pdf/-char/ja

https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/1505/aff_labo01.html

https://news.militaryblog.jp/web/Army-genetically-engineered-spider-silk/Dragon-Silk-for-new-body-armor.html

https://www.jstage.jst.go.jp/article/fiber/62/2/62_2_P_42/_pdf

 

 

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