&CROP編集部の瀧澤です。
&CROPの前身のクロップオザキ‐スタッフブログで「羊をめぐる冒険」というタイトルのシリーズ(vol1~vol9)を書きました。これは、アジアムフロンという野生の羊が1万年かけてメリノ種と世界中で最も多く生産される家畜になって行く過程を軸に羊の進化・家畜化・犬との関係・牧畜の歴史などの視点からつれづれに書いたシリーズでした。
今から始める「続・羊をめぐるぼうけんシリーズ」は、視点を羊から人間側に移して、「遊牧民」をテーマに。「なぜ人は羊を連れて移動するようになったのか」という軸で、牧畜の誕生から遊牧のはじまりへと「遊牧民」の移動の歴史を探っていきます。
第1回目は、遊牧の話に入る前提として「牧畜はなぜ始まったのか」を掘り下げます。700万年間ずっと「もらう側」だった人類が、なぜある時期から動物を「管理する側」に転じたのか。その背景には気候変動という現在にもつながる大きな力が働いています。このシリーズは過去最大の変化の波の今まさに飲み込まれようとしている人類と産業の未来を考える時のひとつのヒントになる(いやぁ、ならないでしょ 笑)かも知れません。
🔖 前シリーズ 「羊をめぐる冒険」vol.1〜9(クロップオザキスタッフブログ)
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ヒトとヒツジとイヌの関係 https://www.cropozaki.com/blog/archives/17650
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羊が牧畜に適していた6つの理由 https://www.cropozaki.com/blog/archives/17665
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羊毛を効率的に収穫する方法 https://www.cropozaki.com/blog/archives/17715
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vol9 羊飼いの偉人たち https://www.cropozaki.com/blog/archives/17721
もくじ
1.700万年“うけとる側”だった人類
現生人類(ホモ・サピエンス)が誕生したのは約20~30万年前とされています。しかし人類の祖先であるヒト亜科が他の霊長類と分岐してから現在まで、その期間は約700万年に及びます。
その700万年のうち、農耕・牧畜が始まるまでの約699万年間、人類は狩猟採集によって生きてきました。野生の植物を採り、野生の動物を狩る。自然から「うけとる」生活です。農耕も牧畜も存在しない。作物を育てることも、動物を管理することも、人類はしていませんでした。
この事実は、逆の問いを生みます。なぜ700万年も「うけとる」だけで生きてこられたのか。そして、なぜたった1万年前に突然「作る側・管理する側」に転じたのか?
狩猟採集という生き方の合理性
❓ なぜ700万年も狩猟採集を続けられたのか? 農耕の方が効率的ではないのか?
じつは農耕は狩猟採集より「楽な生き方」ではありません。農耕は土地の開墾・種まき・水やり・雑草取り・害獣対策・収穫・貯蔵という膨大な労働を必要とします。狩猟採集民の研究では、彼らの「労働時間」は現代の農民より短かったという報告もあります。自然環境が温暖で豊かであれば、狩猟採集は十分に合理的な生き方でした。人類が農耕・牧畜を行うようになったのは「より良い生活を求めたから」ではなく、「そうせざるを得ない状況に追い込まれたから」ではないかと言うのが現在では大方の学術的な見解となっています。
何が人類を「うけとる側」から「つくる側」に追い込んだのか
その答えは気候の変動です。約1万2,000年前から1万1,700年前にかけて起きた急激な気候変動が、人類の生き方に根本から変容を迫りました。次章でその経緯を見ていきます。
2.最終氷期という舞台‐1万年前の地球はどんな世界?
まず「最終氷期」という言葉を理解しておく必要があります。
最終氷期とは、約7万年前から1万年前まで続いた、地球が現在より大幅に寒冷だった時期のことです。この時期、北半球の多くの地域は巨大な氷床に覆われていました。ヨーロッパ北部・カナダのほぼ全域・北シベリアの大部分が氷に閉ざされ、海水が氷として陸に固定されたことで海面が現在より約120メートルも低かったとされています。
この海面低下が、人類の移動を可能にしました。現在の東南アジアのタイ・マレーシア・ボルネオ・スマトラ・ジャワ周辺には多くの島々が存在していますが、当時は「スンダランド」と呼ばれる巨大な陸地でした。アジアとアラスカのあいだには「ベーリング陸橋」という陸の橋ができ、ここを渡って人類が北アメリカへ移動したと考えられています。
最寒冷期(LGM)のピーク
最終氷期の中でも特に寒かったのが約2万1,000年前の「最終氷期最盛期(LGM:Last Glacial Maximum)」です。この時期の地球は現在より平均気温が数℃低く、サハラ砂漠でさえ降水量が現在の9%まで落ちたという研究があります。
この極寒の環境で人類はどのように暮らしていたのか。洞窟に暮らし、マンモスなどの大型動物を狩り、木の実や根茎を採集していました。農耕や牧畜はまだ影も形もありません。
なぜ農耕は氷期に始まらなかったのか
❓ 最終氷期の最も寒い時期に農耕が始まらなかったのはなぜか?
気温が低く乾燥した氷期の環境では、穀物の生育に必要な条件(適度な温度・水分・日照)が整わなかったためです。また人口密度が低く、狩猟採集で生存できていた。農耕という「手間のかかる仕事」に転じる必要がなかったのです。農耕が始まるには、まず気候が「農業を可能にする環境」に変わる必要がありました。
気候の推移を整理すると以下のようになります。
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時期 |
出来事 |
内容 |
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約7万年前〜 |
最終氷期 |
地球が寒冷化。人類は洞窟・定住的集落で狩猟採集生活を続ける。 |
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約2.1万年前 |
最寒冷期(LGM) |
海面が現在より約120m低下。ベーリング陸橋が形成され人類がアメリカ大陸へ移動。 |
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約1.28万年前 |
ヤンガードリアス期 |
一時的な急激な寒冷化。数十年で気温が約8℃低下。食料危機が農耕・牧畜への転換を後押し。 |
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約1.17万年前〜 |
完新世・温暖安定期 |
現在まで続く安定した温暖期が始まる。農耕・牧畜・定住文明が急速に発展。 |
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約9,000〜8,000年前 |
牧畜の開始 |
肥沃な三日月地帯でヒツジ・ヤギの家畜化が始まる。農耕と同時進行。 |
※年代はおよその目安です。氷床コア・年縞・花粉分析など複数の手法による研究成果を総合していますが、研究者によって数百〜千年程度の幅があります。
3.ヤンガードリアスという謎の寒冷化
約1万4,000年前から気温は上昇し始め、最終氷期は終わりに向かいます。植物が戻り、動物が増え、人類の行動範囲も広がりました。「もうすぐ暖かい時代が来る」という方向へ向かっていた地球に、突然の「寒の戻り」が訪れます。
これが「ヤンガードリアス期」(約1万2,900年前〜1万1,500年前)です。
わずか数十年で気温が約8℃低下した
グリーンランドの氷床コアの分析によれば、ヤンガードリアス期の開始はわずか数十年という短期間で起きました。グリーンランド山頂部では現在より15℃も低い気温になったとされています。イギリスでは甲虫の化石から年平均気温が約−5℃まで低下したことが推定されています。
この急激な寒冷化の原因として有力な説は、北アメリカの巨大氷河湖「アガシー湖」の崩壊です。温暖化で氷床が融けてできた巨大な淡水湖が、一気に北大西洋へ流れ込み、海洋の熱塩循環(メキシコ湾流など)を弱体化させた。ヨーロッパを温めていた暖流が機能しなくなり、急激な寒冷化が起きたというシナリオです。
🔬 科学的エピソード:氷床コアという「地球の日記」|グリーンランドの氷は、何万年もの間に降り積もった雪が圧縮されてできています。この氷を掘り出して分析すると、各層の酸素同位体比から当時の気温が、気泡に閉じ込められた空気からは当時の大気組成が読み取れます。ヤンガードリアスの急激な温度変化は、この「地球の日記」に明確に記録されています。
ヤンガードリアスと農耕の関係
ヤンガードリアス期はしばしば農耕の起源と関連付けられてきました。寒冷化・乾燥化が食料危機を引き起こし、人類は食料を「自分で作る」必要に迫られたという説です。
しかし近年の研究はこの図式を修正しています。立命館大学の中川毅教授らが福井県の水月湖の年縞(後述コラム参照)を分析した結果、農耕・定住生活の本格的な始まりはヤンガードリアス期の寒冷化中ではなく、それが終わって気候が安定してから数千年以内に起きたことが明らかになりました。
つまりヤンガードリアスの寒冷化は農耕を「直接引き起こした」わけではなく、むしろ「農耕・定住の萌芽を一時的に後退させた」時期だった可能性があります。そして寒冷化が終わって気候が安定し、人口が回復した時期に農耕が本格化したというのが現時点での有力な解釈です。
⚠️ わからないこと:農耕起源の因果関係については現在も活発な議論が続いています。「ヤンガードリアスが農耕を促した説」「温暖安定後に農耕が始まった説」「人口増加が農耕を必要にした説」など複数の仮説があり、一つの説が完全に確立されているわけではありません。この記事では現時点で最も支持されている説を中心に整理しています。
4.農耕と牧畜は「同時に始まった」という事実
「農耕が先で、牧畜はその後」というイメージを持っている方が多いかもしれません。しかし考古学的な証拠は、この2つがほぼ同時進行で始まったことを示しています。
舞台は「肥沃な三日月地帯」と呼ばれる地域です。現在のトルコ南部・シリア・レバノン・イスラエル・イラク西部にかけて三日月形に広がるこの地域は、野生の麦・大麦・ヒツジ・ヤギが豊富に存在し、農耕・牧畜の起源となりました。
なぜここで同時に始まったのか
❓ 農耕と牧畜がなぜ同じ地域・同じ時期に始まったのか
最も説得力のある説は「共生の始まり」です。農耕集落が形成されると、収穫後の畑の残りかすや貯蔵した穀物のこぼれをめがけて、野生のヒツジ・ヤギが近づいてくるようになります。集落のそばに頻繁に来る野生動物は人間に慣れ、やがて人間の側も「囲えば逃げない」「増やせる」ということに気づく。農耕と牧畜は別々に計画されたのではなく、農耕集落という環境が自然に牧畜を呼び込んだと考えられています。
❓ ヒツジとヤギが最初に家畜化された理由は
前シリーズvol.6「羊が牧畜に適していた6つの理由」で詳しく解説しましたが、要点は①群れで行動する習性(群れごと管理できる)②比較的穏やかな性格③草食性(人間と食料を競合しない)④繁殖サイクルが比較的速い⑤肉・乳・毛・皮という多目的な利用が可能⑥野生種が農耕地帯の近くに生息していた、という点です。これらが重なったことで、ヒツジとヤギが最初に家畜化されたと考えられます。
5.家畜化は革命ではなく、1000年かけたじわじわとした変化
「ある日、人間が野生のヒツジを捕まえて家畜化した」というイメージは正確ではありません。家畜化は一度の出来事ではなく、何世代にもわたる長いプロセスで定着して行きました。
歯のエナメル質が語る1万年前の羊の移動
家畜化のプロセスを解明するために、現代の考古学は驚くほど精密な手法を使っています。
🔬 科学的エピソード:歯のエナメル質の同位体分析|コーカサス地方の遺跡から出土した7,500〜8,000年前のヤギの歯を分析すると、エナメル質に含まれるストロンチウム・炭素・酸素の同位体比が季節によって変化していることがわかります。これは、そのヤギが「夏に高地・冬に低地」という季節移牧をしていたことを意味します。つまり1万年前の羊が年間でどう移動していたかが、歯の化学成分から読み取れるのです。この手法により、家畜化のプロセスが「完全な野生」から「季節的な人間との同行」を経て「完全な管理下」へと段階的に進んだことが明らかになってきました。
「野生」から「家畜」へのグラデーション
現在の考古学的な見解では、家畜化のプロセスはおよそ以下のような段階を経たと考えられています。
第一段階(共存期):農耕集落の近くに野生のヒツジ・ヤギが定着し始める。人間と動物のあいだに一定の距離感が保たれながら共存する。
第二段階(緩やかな管理期):人間が群れの移動に同行し始める。まだ完全な管理下ではないが、季節的な移動ルートを人間が誘導するようになる。歯の同位体分析が示す「季節移牧」の段階。
第三段階(家畜化の確立):囲いや柵で管理され、繁殖・選抜が人間の意図のもとで行われるようになる。骨格の変化(野生種より小型化するなど)が考古学的証拠として残る。
この第一段階から第三段階まで、少なくとも数百年、場所によっては1,000年以上かかったと推定されています。「革命」ではなく「共進化」と呼ぶ方が正確かもしれません。
❓ 家畜化のプロセスで人間と動物の関係はどう変わったのか
これはとても興味深い問いです。狩猟採集の段階では、動物は「食料・道具の原料として仕留めるもの」でした。家畜化のプロセスでは、動物は「生かしたまま利用するもの」に変わります。この転換は人間の動物観を根本から変えたと考えられます。動物の行動を読む・群れを管理する・繁殖をコントロールする、という新しい知識体系が生まれ、それが後に遊牧民の暮らしの基礎になっていきます。
6.まとめ‐次回「草原が人をうごかした」へ
今回の内容を整理します。
約700万年間狩猟採集で生きてきた人類が、1万年前前後に農耕・牧畜を始めた背景には気候変動という巨大な力がありました。最終氷期の終わりとヤンガードリアスという「寒の戻り」を経て気候が安定した完新世に入り、肥沃な三日月地帯で農耕と牧畜がほぼ同時に始まりました。家畜化は「革命」ではなく、農耕集落と野生動物の共存から始まった何百年もかけたじわじわとした変化でした。
しかしこの段階では、人々はまだ定住したまま動物を管理していました。遊牧――つまり「動物とともに移動する生活」――はまだ始まっていません。
では何が人々を動かしたのか。次回vol.2「草原が人を動かした」では、気候のさらなる変化が農耕地帯の外縁部の人々を草原へと押し出し、移動する牧畜民、そして遊牧民が誕生していくプロセスを追います。
コラム:水月湖の年縞(ねんこう)が説いた農耕起源の謎
福井県にある水月湖(すいげつこ)は、世界の古気候学者たちから「奇蹟の湖」と呼ばれています。
水月湖は直接流れ込む河川がない、湖底の硫化水素濃度が濃く貧酸素状態の為に生物による撹乱が極めて少ない、汽水湖であるため上層の淡水と下層の海水が混ざり合わないなどの条件がそろっていることから湖底に毎年一枚ずつ薄い地層(年縞=ねんこう)が積み重なっています。この年縞が、なんと約7万年分・深さ約45メートルにわたって保存されています。
📖 年縞とは:年輪と同じ原理で、春夏には明るく粗い層、秋冬には暗く細かい層が交互に積み重なってできます。500点以上の葉の化石の放射性炭素年代と年縞の枚数を照合することで、世界で最も精度の高い年代目盛りが得られています。
立命館大学の中川毅教授らの研究グループは、この年縞に含まれる花粉化石の種類を分析することで、紀元前16,000年〜8,000年ごろまでの気候変動を約10年刻みで復元しました(2021年、Global and Planetary Change誌に掲載)。
この研究で明らかになったのは「農耕の開始は気候が安定してから起きた」という事実です。ヤンガードリアス期の寒冷化が農耕の直接の引き金になったという従来の仮説を修正し、気候の安定性こそが農耕を可能にした条件だったことを示しました。
「地球の反対側の農耕起源の謎を、福井県の小さな湖が解く」というこのエピソードは、科学が積み重ねてきた観察と分析の力を示す好例だと思います。
【参考文献・出典】
・立命館大学プレスリリース「人類の農耕の起源は気候が安定してから」(2021年)
・中川毅『人類と気候の10万年史』講談社ブルーバックス(2017年)
・田家康『気候文明史』日本経済新聞出版(2010年)
・Wikipedia「最終氷期」「ヤンガードリアス」「農耕」各項目