遊牧民とヒツジの話 first episode

なぜ?遊牧民

&CROP編集部の瀧澤です。遊牧民の話をはじめます!

なんで遊牧民?と思われると思うのではじめに言い訳をしておきます。人類が古くから利用してきた天然繊維には植物性動物性があり、有史以前の最も古くから使われて来たと考えられるのは植物の靭皮を利用した繊維です。そして次第に絹や羊毛、綿など繊維の利用も広まります。これらの天然繊維中で日本人が最後に出会った繊維が羊毛(ウール)です。日本で本当の意味で身近に羊毛製品を手にすることが出来るようになるのは繊維の歴史から見ると本当にごく最近のことで化学繊維の利用がはじまるのとほとんど同じくらいです。

一方、人類がムフロンと呼ばれる羊の原種を家畜化しはじめたのはおよそ1万年前の現在のトルコ周辺と言われています。実をいうと、羊が家畜化されて牧畜が広まって行った経緯を「羊をめぐる冒険vol,1~11」と言うシリーズでかなり余談を交えながら弊社のスタッフブログに書いていました。そしてその続きを書くのに「遊牧民」と言うキーワードが外せない!でも、…遊牧民についてあまりに何も知らないことに気づいてお休みさせていただいておりました…そのコラムの続きを今回「遊牧民とヒツジの話」と言うテーマでこの&CROPで再開します。相当に時間が開いたので、さぞや遊牧民について良く勉強しての再開かと言うと、まったくそんなことはなくて以前と同じようにおそらくは行き当たりバッタリ、寄り道をしながらのコラムになる自信はだけはあります!お付き合いいただけましたらうれしいです。では、はじめに日本の牧羊ってどんな感じなの?と言うところからお付き合いください。

国内の牧羊の歴史

葛飾北斎 万物絵本大全図 綿羊の画像 出展:ARC浮世絵ポータルデータベース

羊毛との出会い

日本が本格的に羊毛と出会うのは明治になってからです。それまで一般の庶民は羊毛の服の存在さえほとんど知ることはありませんでした。北アフリカからユーラシア大陸の内陸部の比較的乾燥した地帯を中心に発生して発展して広まった牧羊は、アジアの沿岸部の湿潤で比較的温暖な地域にはあまり適していません。さらにユーラシア大陸の東の果て(極東)と呼ばれた日本では200年に及ぶ鎖国が行われていたのですから羊の姿は浮世絵などから想像するくらいだったのだと思われます。

干支の未は国によって解釈が違う?

余談ですが中国では干支の未(ヒツジ)は羊とも山羊とも解釈できるらしく、ベトナムでは干支のヒツジは山羊のことなのだそうです。中国の北側はモンゴル高原に接した寒冷で乾燥した気候で南の沿岸部は温暖な亜熱帯気候なので地域によって干支のヒツジの認識が違うのもうなずけます。ちなみに山羊が日本に移入されたのは15世紀以降で東南アジアの小型の山羊が移入されたと考えられています。

羊毛の広がり

閑話休題、それでも幕末には東京の巣鴨で300頭の羊が飼育されて幕府に羊毛製品が献上されていたと言います。明治期に入ると主に軍需用で毛織物の必要性が高まり、明治政府は巨額の資本を投入して北海道や千葉の成田(現在の成田国際空港周辺)で牧羊を試みますがいずれも失敗に終わっています。その後1914年(大正3年)に第一次世界大戦が始まると海外からの輸入に頼っていた羊毛の入荷が止まり、軍需用の毛織物の生産に支障をきたした政府は緬羊百万頭増殖計画を打ち出して多額の奨励金を拠出し、国内の飼育頭数を増やしました。しかし到底100万頭には及ばずに数年で奨励金は打ち切られます。次いで第二次世界大戦終戦後の物資の不足で再び国内の羊毛の需要が高まると国内の各地で羊の飼育が盛んにおこなわれるようになり1957年には100万頭をこえる羊が飼育されるに至りました。しかしこの時をピークに飼育頭数は減少。2018年の全国緬羊飼育頭数は19,758頭でその多くは肉用のサフォーク種となっています。多くの日本人が日常衣料としてウールの製品を手に出来るようになるのは終戦後の経済復興以後のことで化学繊維の普及も加わって日常衣料は大きく変化して行きます。

羊の祖先たち

家畜化された現在の羊の祖先にあたる野生種の羊にはユーラシア大陸に生息するアジアムフロン・ムフロン(ヨーロッパムフロン)・ウリアル・アルガリと北米大陸に生息するオオツノヒツジ(ビッグホーン)が知られています。これらの野生羊の祖先はおよそ2000万年~1000万年前の氷に覆われた中央アジアに生息していたと考えられ、この羊の祖先がシベリアを越えて北米大陸に渡ってオオツノヒツジとなり、ユーラシア大陸で分化したムフロン・ウリアル・アルガリが現在の羊の祖先になったと考えられています。

どの野生羊が現在の家畜化された羊の直接の祖先かについては諸説ありますが種間交雑が可能で子孫を残せることからも比較的最近になって種に分化した共通の祖先をもっていることは確かです。

牧羊のはじまり

肥沃な三日月地帯 Nafsadh, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons

牧羊のはじまりについては以前に書いた株式会社クロップオザキ スタッフブログ記事、羊をめぐる冒険 vol3から引用します。

はじめて羊が飼われた場所

1万1千年前頃になると肥沃な三日月地帯と呼ばれる(メソポタミア-シリア-パレスチナ)辺りで農耕とともに牧畜も行われるようになりました。はじめて牧畜が行われた場所のひとつであるトルコ中部のアシクリ・ホユック遺跡のゴミの分析からは、始めの500年は魚・ウサギ・カメ・鹿に混ざって多くの野生の羊の骨が見つかり、次の500年間では羊の骨の割合が増加して行き9500年前までにはほぼ全てが羊の骨になっていることや羊の尿の痕跡の分析からおよそ1000年位の短い期間に泥で出来た住居の間の狭い空間で数頭の羊を飼う形態から集落の外れに作った囲いの中で沢山の羊を飼う形態に変化していったことが判っています。

羊の祖先にあたる野生の羊は私たちが知っている羊の姿とは大きく印象が違います。大きくてガッシリした体躯と巨大な角を持っていて体表は硬いヘアに覆われています。下の動画は羊の祖先のひとつアルガリの調査の様子(WWFのyoutube映像)です。この映像を見る限りとてもこれが羊の祖先とは思えないですね。

 

このような羊の祖先を人類が飼うことで、わずか1000年程の間に形態も性質も変化して行ったことが遺跡から発掘された骨などの分析から推測されています。世界には1000品種を越える羊がいます。羊と言われて多くの人が思い浮かべる代表的なメリノ種は良質な毛質と肉用としても有用なことから世界中で最も多く飼育されていて、本来野生動物が備えている季節に合わせて毛が抜け替わる性質が失われています。一方で野生種に近い羊や非常に小型に改良された品種、熱帯地域に適応した種類や諸島部などの隔離された環境で独自に分化した羊がなどが世界中に分布していてこれらの羊はすべて同じ祖先を持つ羊達なのです。

羊の祖先と人類の出会い

羊の祖先(ムフロン)は中央アジアの内陸部の寒冷で乾燥した地域で生きていたので、寒さから身を守る為の体毛と豊富な体脂肪を蓄えていました。ムフロンは群れで中央アジアの一定の地域を移動して生活しながら環境に適応して次第にユーラシア大陸(一部は凍ったベーリング海を渡って北米大陸)に分布域を広げて行ったと考えらています。

こうして現在あるような種に分化してゆく過程の群れを肉や脂、毛皮を利用する目的で狩猟の対象としていったことがムフロンと人類の出会いとなり、農耕を始める以前の狩猟採集民のグループの中には重要な食糧源のムフロンの群れを追って移動しながら生活する集団が生じて行ったことが想像できます。私にはこのような形態が遊牧と言う家畜と人の関係の原型なのではないかという説がとてもしっくり来る感じがしています。

まとめ

「遊牧民とヒツジの話の第一話)として今回は、私たち日本人と羊の関り、羊の祖先や人類の出会いについて個人的な想像も交えて書きました。この記事を書くにあたって参考にさせていただいた書籍や資料については文末にまとめて掲載しています。とくに「遊牧の人類史(著者:松原正毅)」と「羊の人類史(著者:サリー・クルサード)」は今回のシリーズで今後も最も参考にさせていただくと思いますので興味のある方は参照して下さい。第二話は「牧畜」「遊牧」「移牧」という言葉の意味や家畜化が先か遊牧が先かと言うテーマで書く予定です。では~

参考書籍・URL

「遊牧の人類史」 松原 正毅著  岩波書店

「羊の人類史 」   サリー・クルサード著  青土社

「ヒツジ 」    wikipedia

「野生ヒツジの王様、アルガリの話 」  WWFジャパン

「羊をめぐる冒険」 クロップオザキ スタッフブログ

 

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