もくじ
絹・シルクとは
名称(日本語/英語) | 絹(きぬ/しるく) / silk |
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カテゴリ | 主資材 |
種類 | 大カテゴリ(シルク) |
概要
(日本語名:絹/シルク・・・きぬ/しるく 英語名・・・ Silk)絹(シルク)は主にカイコガ(蚕蛾)科およびヤママユガ(山繭蛾)科の繭から採れる動物繊維で、天然素材としては唯一フィラメント(長繊維)糸を得ることが出来る繊維です。カイコは分類学上では鱗翅目カイコガ科に属し同属の野生種であるクワコに品種改良が加えられて家畜化した品種です。この改良されたカイコガを家蚕(かさん)と呼び、カイコガ以外の野生種(主にヤママユガ科の柞蚕:サクサン・天蚕:ヤママユガ・樟蚕:クスサン)を野蚕(やさん)と呼んでいます。カイコは左右一対の絹糸腺からフィブロインと言うたんぱく質の液状絹をセリシンと言う糊状の物質でコーティングしながら吐きだして繭を作り、この繭を解して絹糸として利用します。釣り糸として使われるテグスは、現在ではナイロン等の合成繊維から作られていますが、元々は中国南部に分布するフウサン(楓蚕)と言うヤママユガの仲間の幼虫から取り出した絹糸腺を加工して作られていました。
養蚕の起源
養蚕の起源は中国で、紀元前2000~3000年、今からおよそ5000年前に始まったと言われています。確認されている最古の絹の出土品は黄河中流域に存在した仰韶(Yangshao)文化(紀元前5千~3千年)の絹織物で、養蚕の始祖は元時代の農学者王禎が著した「農書」には「黄帝元妃西 陵氏始めて蚕す。蓋し黄帝衣裳を制作る。因て此に始まる也。」と記されているそうです。しかし黄帝は伝説上の存在でもあるので歴史的事実としての実証はありません。一方、殷時代(紀元前1700~1100年)の甲骨文字には蚕・桑・糸・帛の文字が記されていることや青銅の壷や刀の柄に付着していた炭化した絹織物(雷紋花綺:らいもんかき)が見つかっていることから殷時代にはすでに養蚕が行われていたと考えられています。紀元前から中国の皇帝や王は養蚕を営み養蚕・糸紡ぎ・機織そして蚕の餌となる桑も神聖なものとされて来ました。やがてシルクは一部の人だけのものではなくなり養蚕は時代と共に発展してかなり古くから現在の技術でも再現することが難しい高度な織物がつくられるようになります。漢時代(206BC~220AD)になると養蚕の技術はさらに向上して、染色技法も発達。より繊細で複雑な織物も作られるようになりシルク産業が一般化していたと考えられています。漢時代のシルクの主要産地は首都の西安(長安)と山東省・四川省でシルク製品の交易を積極的に行う一方、古くから固く禁じられていた蚕種や養蚕技術の国外への持ち出しは時代を下るとさらに厳しく禁じられるようになって行きます。
ヨーロッパの養蚕
中国は古くから蚕種の持ち出しを厳しく禁じていましたがヨーロッパへは紀元前から蚕種が持ち込まれていました。西欧の養蚕は8世紀にはペルシャからスペインに広がり、10世紀には南・北イタリアへ、13世紀にはフランスでも養蚕が始まり19世紀になるとヨーロッパでも養蚕業が栄えましたが、イギリス・ドイツ・スイス・オランダでは気候・風土が適さないため衰退。その後フランスでも微粒子病の蔓延や世界大戦によって次第に衰退します。イタリアでは第一次大戦後に養蚕業の最盛期を迎えますが第二次大戦後にはヨーロッパで唯一の養蚕国となり、その後農業労働力不足や技術革新の遅れで著しく減少してしまいます。
日本の養蚕史(弥生~明治)
日本は桑の生育に適していた為、弥生時代に中国大陸から養蚕が伝わったと考えられています。北九州福岡市の有田遺跡から出土した絹織物(紀元前200年頃)は当時中国で織られていた絹織物とは比べて密度が荒く完成度も低いことから弥生時代前期末には北九州を中心に養蚕と絹織物が始まっていたと考えられています。その後も朝鮮や中国から蚕種や技術が伝えられて奈良時代には大和朝廷の支配地域で広く養蚕が行われていました。しかし中国の絹製品に比べ品質が劣り生産量もすくなかったので中国からの輸入で需要を賄っていました。江戸期になると幕府が養蚕を推奨したことで養蚕技術が発展し、幕末には良質な生糸が生産されるようになりました。
日本の養蚕史(明治~)
明治になって開国すると生糸は主要な輸出品となり、養蚕業は隆盛期を迎えて良質な生糸を大量に輸出し日本近代化の礎となります。1870年代になると官営富岡製糸場(2014年世界遺産に登録)に代表されるようなフィラチュアと呼ばれる大型の機械式製糸工場が長野・山梨・岐阜・群馬・滋賀・東京(八王子)につくられ、日清戦争(1894~1895年)後には規模、数とも更に拡大します。明治期に生糸輸出の中心となったのは江戸末期に開港した横浜港で主要な養蚕地帯であった埼玉・群馬・山梨・長野・福島から横浜港に生糸が運ばれ輸出されました。八王子近郊の丘陵地には当時長野や山梨から絹箱を運んだ「絹の道」の一部が残り、当時の生糸商人の屋敷跡に建てられた絹の道資料館には絹の道や製糸・養蚕に関する資料が展示されています。八王子と横浜を結ぶ現在のJR横浜線は甲信地方で生産されて八王子に集められた生糸を横浜港へ運ぶ目的で私鉄の「横浜鉄道」として明治41年に開業した路線です。1900年頃には日本の生糸輸出量は中国を抜いて世界一となって成長を続けますが1929年に始まった世界恐慌を境に生糸の需要は減少します。1940年代には最大の輸出先の米国で合成繊維のナイロン生産が開始された事と第二次世界大戦によって国内の生糸生産量は1/4以下に減少します。戦後の1950~1960年代に国内の養蚕業は再びピークを迎えますがその後のポリエステル等の安価な合成繊維の普及や農村の都市化による農業人口の減少によって日本の養蚕業は急速に衰退して現在に至ります。
シルクロード
シルクロードという言葉からはどんなイメージが思い浮かぶでしょうか?遥か古代から広大な砂漠や峻険な山脈を越えて中国とヨーロッパを行き来したキャラバン隊や敦煌・ハミ・トルファン・チェルチェン・ホータン・カシュガル…などのオアシス都市、その交易品の中で最も重要で高価な商品であった絹(シルク)。シルクロード抜きでシルクの歴史に触れることはできません。しかし正直に言ってシルクロードについて記述できるほどの知識もスペースもありませんのでここでは概要のみに記載します。中国に統一王朝が出来る以前から東西の交易が行われていたことは紀元前4世紀半ばの中央アジアの墳墓から中国中部の特徴的な織物の布片が出土していることから推測されています。シルクロードを通して東西の交易が最も盛んになるのは東に漢や唐などの超大国があり、西側にローマ帝国やビザンツといった大国が並立していた時代からフビライ・ハーンによる支配が中国からヨーロッパに及んだ元王朝の時代あたりまでとされています。明王朝になって海洋ルートによる交易が盛んになると効率が悪く危険を伴う陸路での交易は次第に衰退しました。
生糸の構造と製糸
絹(シルク)は天然繊維の中で唯一、フィラメント糸(長繊維)を得ることが出来る繊維です。動物繊維に分類される生糸はおよそ18種類のアミノ酸が結合したフィブロインというタンパク質の液状絹を左右一対の絹糸線からセリシンという硬タンパク質でコーティングしながら吐き出して作られ、三角の断面をした2本のフィブロインをセリシンが覆っている構造をしています。1本の生糸は太さがおよそ0.025mm(凡そ3デニール)で、一本のフィブロインはフィブリルというさらに細い繊維が数百本集まり、そのフィブリルもさらに細いミクロフィブリルの集まりです。カイコの繭は連続的に吐き出された一本の生糸から出来ているのでこの繭をお湯に浸けてセリシンを柔らかくした状態で数本(単糸の太さや求める生糸の太さによって変わる)束ねて糸にする工程を製糸と言います。製糸された生糸は再びセリシンが固まってゴワゴワした手触りをしています。3デニールの単糸を7本束ねた生糸を21中生糸(約21デニール)、14本束ねた生糸を42中生糸(約42デニール)と呼んでいます。
撚糸と精練
製糸された生糸は用途によって何本かを引き揃えたり(無撚糸)、片撚り・双撚り・駒撚り・強撚などの方法で撚り合わせた後に精練・染色工程を経て絹糸になります。(用途や求める風合いによっては精練をしないで染色する場合もある)精練は生糸の表面を覆うセリシンを石鹸やソーダ灰の溶液に浸けて取り除く工程です。生糸は精練工程を行うことによって絹本来の肌触りや光沢となり染色性も良くなります。精練には用途や求める風合いによって1分練から丸練(セリシンを全て落とした状態)まで段階があり、染色工程まで考慮しながら求める絹本来の光沢や風合いを引き出すとても重要で熟練を必要とする工程です。
絹紡糸(けんぼうし・スパンシルクヤーン)・スパンシルク
シルクには先に述べた製糸方法によってフィラメント糸を得る方法と製糸工程で出る副産物や残り繭、中・下等級の製糸に適さない繭を集めて精練・調合した原料から夾雑物を除去して適当な長さに切断後スライバー状にした(短繊維)を紡績して糸にする方法があります。これらの糸を絹紡糸・絹紬糸・スパンシルク等と呼んでいます。これらのシルクは空気を含んで軽くナチュラルで素朴な風合いを持っていて「エコロジーシルク」とも呼ばれ下着やニット製品等の幅広いアイテムに利用されています。日本ではくず繭などを煮て開いた真綿をつむいだ糸で織った着物を紬(つむぎ)と呼び、結城紬・大島紬・久米島紬・牛首紬などが有名で伝統技術として現在に伝わっています。古くから養蚕が盛んだった新疆ウイグル自治区にも中国から持ち込まれた美しく高価な絹糸を得るための技法で生糸を採るキジル・シルクと呼ばれるシルクと土着の養蚕技法であるカシュガル・シルクがあります。カシュガル・シルクは蛹からカイコが出た後の繭をスピニングした短繊維(スパン)シルクで、敬虔な仏教徒のウイグル人の集団が殺生を嫌ったことから始まったと考えられています。
シルク繊維の5つの特徴と4つのデメリット
5つの特徴
1.独特の美しい光沢がある
シルクの本体であるフィブロンの三角断面の形状は光をプリズムのように屈曲・分散・透過させて繊維内部でも複雑な反射を起こすことで得られる独特の深みのある美しい光沢がシルク繊維の最大の特徴です。
2.吸放湿性と保湿性・通気性があり肌にやさしい
カイコ蛾の蛹を外界の変化から守るための繊維であるシルクは通気性・吸湿性・放湿性・保湿性を併せ持っています。18種類のアミノ酸で構成されるタンパク質は人の肌の成分とも近く肌触りが良く肌に優しい繊維です。
3.静電気が起きにくく、紫外線をカット
シルクは保湿性が高いことで静電気が起こり難く、またカイコの蛹は紫外線を受けると成長に影響するためシルクの糸・には紫外線を遮る働きがあります。そのためシルクで作られた製品は90%の紫外線を吸収するUVカット効果があるとされます。
4.夏涼しくて冬暖かい
熱伝導率が低く肌触りの良いシルク繊維は夏涼しく冬には暖かく年間を通して素肌に心地良い繊維です。
5.絹鳴り・ロイヤルサウンド
絹の生地が擦れ合う時に「キュッ キュッ」と鳴る音を絹鳴り(ロイヤルサウンド)と呼んでいます。これはシルク繊維の構造的な特徴のフィブロインの三角形状が擦れ合う時に発生する音で、シルク繊維だけに見られる特徴です。
4つのデメリット
1.摩擦に弱くフィブリル化しやすい
緻密で美しい光沢を持つシルクは摩擦によって繊維がフィブリル化しやすいです。フィブリル化は絹糸のフィブロインを構成するフィブリルが摩擦によって毛羽立ち光が乱反射を起こして白っぽく見える現象です。このフィブリル化による白化減少は濃色の生地程目立ちやすく注意が必要ですが反面フィブリル化をシルク繊維の特徴として表現した製品もあります。
2.太陽光に弱く変褪色が起こりやすい
シルクは紫外線による変色や褪色が起こりやすい繊維なので連続着用を避ける、光の当たらない場所で保管する等の気遣いをすることが長く着用する秘訣です。
3.水分に弱い
吸湿性が高い反面、水分を吸収して膨らんだ繊維が元に戻らず「輪ジミ」になることがあります。対策としては撥水スプレーをする等の方法があります。製品やシミの状態にもよりますが、もし大切な服に「輪ジミ」ができてしまった場合には専門業者に相談することをお勧めします。
4.虫害
動物タンパク繊維のシルクはウール等の獣毛繊維同様に虫食いの被害にあいやすいので保管には注意が必要です。
取り扱い上の注意点
シルク製品は肌にやさしい風合いと美しい光沢が特徴である反面とてもデリケートな素材ですので長く着るためには着用・保管・お手入れに特に注意が必要です。
着用時の注意
保管時の注意
お手入れの注意
手洗い可能な製品(家庭洗濯する)の場合
1.着用時の注意
・過度な着用(連続着用)や着用しての運動などを避ける
・鞄・バッグ・リュック等との摩擦を避ける
2.保管時の注意
・虫害を受けやすいので保管時には防虫剤を使用する
・変色、褪色を避けるため直射日光や蛍光灯の光の当たらない暗所で保管する
3.お手入れの注意
・毛羽立ちの原因となるのでブラッシングは避ける
・汗じみや輪じみは信頼出来るクリーニング店に依頼する
・クリーニング後はビニール袋から出して通気性の用状態で保管する
4.手洗い可能な製品(家庭洗濯する)の場合
・洗濯表示等で手洗い・家庭洗濯が可能か確認する
・洗剤はウール等のおしゃれ着洗いに使う中性の洗剤かシルク用洗剤を使用するアルカリ性や弱アルカリ性の洗剤の使用は避ける
・目立たない部分を水で濡らして5分ほど置いてからガーゼやフキン等の白い布でたたいて滲みや色落ちが無いか確認する
・予め洗剤をぬるま湯に溶かしておいて振り洗いや軽い押し洗いで一枚ずつ手早く洗いとすすぎをする。(長時間洗剤液やすすぎ液に浸けておくのはNG)
・軽く水気を切った後でタオルドライ等で水けを取り型を整えて陰干しする
絹の代表的なテキスタイル
シフォン・シャンタン・ジョーゼット・オーガンジー・タフタ・サテン・ベルベット・緞子・ちりめん・羽二重・紬・金襴・西陣織・銘仙・仙台平・黄八丈・桐生織・結城紬…等
シルクの用途
シルクの用途は服地としてのテキスタイル用途以外にも着物・帯・ネクタイ・スカーフ・刺繍糸・組紐・リボン。ふとん・ベッドカバー・シーツ等の寝具。インテリアではカーペット・緞帳・テーブルクロス・壁紙等の繊維製品をはじめ食品添加剤や化粧品等へ幅広く利用されている。医療分野でもガーゼ・包帯・手術用の糸などに用いられている他、新らしい用途の開発研究が多数行われています。最近では遺伝子組み換え技術によって生み出されたスパイダーシルクを使った製品が発表されて話題となりました。人間によって家畜化されタンパク質繊維を生産する生物として数千年の歴史を持つ蚕の利用は技術の進歩と共に今後も多方面に広がって行くと思われます。
発注時及び縫製工場へデリバリーする際のポイント
ロット管理が重要
シルクはとても染色性の良い天然繊維であると同時に紫外線による 変退色を起こし易い繊維です。発注の際の染色ロットによる色差等を裁断前に縫製工場にあらかじめ確認してもらいましょう。
保管場所に注意が必要
生地保管時に太陽光や蛍光灯の光によって変色や退色が起こる場合があるので保管場所に充分注意しましょう。
経験豊富な縫製工場を選ぶ
シルクと一言で言っても種類によって風合いや性質も様々です、光沢の美しいサテンは反面滑って縫いづらかったり、縫い直しが難しかったりします。また薄手のシフォン等 縫製に熟練が必要な生地も多いので経験の豊富な工場に縫製を依頼することをお勧めします。
絹繊維まとめ
古代中国で発祥し皇帝や王族によって伝承されてきた養蚕技術は古くから国外への持ち出しが禁じられていたにもかかわらず紀元前にはヨーロッパまで伝わっていました。シルクの歴史はウール(羊毛)よりも古く、人類にとって重要な繊維の一つです。養蚕業は西洋でも中世頃から次第に広がり、産業革命によって紡績技術が進歩すると隆盛期を迎えますが、2度の世界大戦と微粒子病の蔓延によって衰退し人工化学繊維への開発・発展へと繋がっていきます。一方日本は桑の栽培に適していたことから弥生時代頃から養蚕が伝わっていたと言われています。その後江戸幕府によって養蚕業の基盤が作られたことで開国と同時に西洋からの製糸技術が導入され中国を抜いて世界一の生糸生産国になってゆきました。昭和のはじめには約40万トンを生産し221万戸あった養蚕農家は現在では228戸生産量80トン(令和2年)となっています。現在日本の養蚕業は生産量は少ないながら遺伝子組み換え技術による機能性シルク(蛍光シルク・超極細シルク・蜘蛛糸シルク・クリカブルシルク)や医薬品・化粧品原料・検査薬などの分野で世界をリードしています。
参考文献
シルクはどのようにして世界に広まったのか 八千代出版
大研究 カイコ図鑑 東京農工大学蚕学研究室監修
参考URL
Wikipedia(養蚕業・カイコ・絹)
その他
八王子市絹の道資料館